過去のご挨拶

会報誌No.2より

拈茶微笑~私のお茶の考え方~

点前する動作の内、お茶を点て相に茶を差し出すときに亭主が手を拈ねります。客と亭主の心の繋がりには言葉で多く語らずとも微笑を浮かべるだけで「分かり合える」ものがあり、その同体の結びが生まれるのではないでしょうか。

無門関第六則には多く知られている拈華微笑の言葉の本となった「世尊拈華」というものがあります。その中の一則を引用します。

『世尊、昔、霊山会上に在って、花を拈じて衆に示す。

是の時、衆皆な黙然たり。惟だ迦葉尊者のみあって、破顔微笑す。』

お釈迦様が霊山という場所に上り、集まった衆に説法する日でありました。この日、釈迦は一枝の花を手に持ち、高座に上がり、これを天高く差し伸べ、無言で大衆に花を捻り示しました。大衆は意味の会得叶わず、分からない中、黙然していました。その中で一人の迦葉が破顔して、ただ微笑を浮かべ、お釈迦様も心意の結びが叶ったとされています。

多くの方とは分かり合えずとも、今の相する人とお茶を円とし、一緒に楽しみ、一会の一期を過ごせたら良いと私は思います。清友座して一味となる火炉頭に賓主もなしであります。

私は口先で語る口頭茶は苦手であります。多く話せず、語れない私の不徳の致すところでありますが、昔から人が純粋に好きな故、笑顔で相手を見つめ、お茶を点て続けることができます。

一昨年の初め頃、友でもあるお弟子数人を招き行ったお茶事がありました。その時の印象は今でも深く心に残っています。皆々緊張した面持ちでもありましたが、私自身初めて一人で行うお茶事であったため緊張していたのを思い出します。

茶事一連の流れの中、ハッとしたものが濃茶の時に事は起きました。

それは濃茶を練り、お茶碗回し、手を捻りお正客に差し出し、目を見て微笑を浮かべたときであります。正客さんが何故だかポロポロと泣き出し、周りの人も同時に泣き出し、笑顔浮かべお茶を回し飲んでいた時に「あぁそうかそうか」と自分の心の中で何かが弾けた音が聞こえました。この出来事より私は拈茶微笑のお茶の始まりを迎えました。

その後、みんなが帰られ一人独服していた時にもまた有り難いことが起きました。釜に一つお水を差しました時「キュー!」と大きな亀の鳴き声がどこからか聞こえました。鳴き声の正体は鐶付にいる二匹の釜亀からであります。その時に何故か私は釜亀に向け「これは、これは不思議なこともあるものだなぁ。ありがとう。ありがとう」と話しかけていました。この日の釜は立花大亀老師直筆の白寿記念造りの好日釜。どこか不思議な出来事でありました。

今も変わらず多大にお支えしてくれるお弟子のみんなには有り難い気持ちであります。

また、常に心が満ち足り、充足しているのも内に湧き起こるお茶と人のお陰様であります。

「私はお詫びするほどのことしか貴方様に出来ないが、お茶でも一服いかがですか」とする気持ちと拈茶微笑を芯に歩み続けます。

会員の皆様と今に生きるお茶を築き上げていけることに御礼合掌いたします。

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