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茶道稽古の意

お稽古しているけれどどういう意味なのだろう。

同じ稽古を繰り返す意味はあるのだろうか。

お稽古事と聞くと古臭くてしつけ事に口うるさいお師匠さんがいそうで怖い。

先に申し上げると稽古とは意味もあり、無意味に等しい要素を持ち合わせています。意味を見出し人間性を磨き、自己覚醒へと至らせようと励むのか、それとも意味を探求せず、ただ無意味のまま稽古時間を過ごしていくのか、それらは全て人それぞれであります。個人個人レベルの問題でありますので、どちらが良く悪いのかという問題ではなく、自由であります。ですが、無意味に時だけ過ぎさせるのはもったいないことではあると思います。

稽古を辞典で調べますと

①武芸・芸事などを習うこと。また、広く芸道に共通して使われる、主に練習を示す言葉である。

②書物を読んで昔のことを考え、物の道理を学ぶこと。学問、学習

③高い学識のある人。上達した人。

④古を稽えること。

辞典の中でも④の古を稽(かんが)えるとあります言葉が日本的な解釈に近いと思われます。また、歴史家のEdward Hallett Carrは「歴史とは人と人の対話に等しい」と申しました。この言葉も考えて当てはめると面白いですね。

古とはその道を築き上げてきた先達の思い、心や作法全般を示すとします。稽えるとは彼ら先人の思いや心、技術や作法を繰り返し学び、自らの人格を研ぎ澄ます作業とも言えます。

先人先達、師匠の思いやその心を守り伝え磨きに磨きをただ繰り返してこそ型が洗練され、形を破となし、そして一度離れてまた一に戻るを繰り返し高まる心の過程とも言えます。

意味もあり、無意味であると思われる行為を繰り返すことに大いなる知は宿っております。

お茶のお稽古、それは毎日変わる時含むあらゆる構成要素を主観的にも客観的にも自覚して、充分自分は出来ると思っても同じ作業をただ繰り返し、元に戻りまたやり直す。始まりと終わりを〇に例えグルグルと描き続けること。これが「けいこ」であると思います。円を描き続けた先は自分でしか知りえない世界であります。

堀内宗心宗匠は「これで充分できると自分で意識した時、もう一度同じことを繰り返す。これがお稽古です。茶をけいこする身にとって「人」を作るのが、薄茶の平点前であります。」とご著書の中で申しております。

基本の基本を絶やさず繰り返し行うことこそ根の有る人を作るのだと思います。利休さんも「一を習いて十を知り、十を学びてまた一に戻る」とお話しているように同じことを繰り返し繰り返し行うことは一と十の線状の結びつきに欠かせない要素であると説いていただいている気持ちになります。一は十であり、十は一である。

では、稽古の中でどのような心構えで臨めば実りある時間となるのかと申しますと。けいこ中は茶三昧の時間を送るということです。三昧とは一つのことに全集中をして、無心の境地に至ることを言います。例えば茶杓などの道具を扱う時、三昧の心がけで(無心で茶杓と一体化して、そのものになりきる)の境地に入り、けいこ中はただひたすら自性(本来の人間性やその自己)を探求して、他のことに一切の雑念を交えず、心を向かうところに一点集中、全集中を捧げて、一心不乱に茶三昧の境地に浸るということです。

茶杓を扱う時は自分と茶杓が芯から同体であることを意識して、その茶杓だけに心を集中させ、他の余分なことは一切考えずに扱い切ることです。置くときも同体であることに気を抜かずに心を深く集中させて棗や茶入れの上に置きます。他の道具もすべて同様に扱います。

また、道具を置いてから、離して次に至る手も引き寄せられるように次の道具に心を寄せて、気を抜かずに扱います。どこまでも気を抜かずに扱うことを気続点と言います。この心構えが茶三昧の世界に至る一歩であります。

茶道の稽古ではお師匠さんより口うるさく徹底的に全ての扱い方を言われると思います。それは貴方が何処かで恥をかかないように想っての言葉でもあるとは思うのですが、先に申しました通り、徹底的な扱いの法は茶三昧の世界に至るための手段であります。心は素直にお師匠さんのお言葉に耳を傾けていたら必ず成就叶います。私も貴方の成就を願う一人であります。

お弟子にどんなお茶をしたいのですか。と社中でも若い二人に聞くと一人は「優しいお茶」もう一人は「温かなお茶」と入門間もない頃話してくれました。最近の稽古でもそのお茶が生かされており、京都の厳しい修業に向かう弟弟子に兄弟子がかけた言葉に温かさがあり、二人の問答には温かく優しい感慨深いものがありました。

自らのお茶を求めて向かう彼らの姿には凄まじい成長があります。二人の姿を見ているとやはり自分が「どのようなお茶をしたいのか」という問いに真剣に挑み、励むことも大きなけいこ上達に繋がると思います。

まずは難しいことは深く考えず、繰り返し稽古に挑み、楽しみながら自分のお茶を見つけることがお茶の上達に繋がり、気付いたら心と体が伴っているはずです。

そして自分が探求し、発見したお茶が多くの人に笑顔と幸を運べる形として機能するはずです。

一十稽古 茶三昧 日日廻るは是茶福

佐々木宗芯

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