ブログ

日々新 日々成長

先日は「茶の湯と香の親子教室」がありました。

子供たちが一生懸命に稽古をしている様子を拝見しておりましたが、思わずニコニコしてしまいました。

お茶を自分で点てることもしてみました。

親子でならび、シャカシャカとお茶を点てるお姿を見ていましたが、とても微笑ましくなりました。

美味しいお茶を点てるコツは茶道を「好き」になってみることから。

そして、上達するにはお茶の中での楽しみ、好きを自分で発見してみるということであります。

利休の孫の千道安は「おもひきや遊びの道の茶の湯たり好かば知らず習うなりとは」と茶の湯について詠みました。

稽古事を遊びの道や趣味と捉えてしまうと、それは娯楽でしかありません。

また、娯楽や快楽の道と思ったままでは、お茶の持つ本質的な部分に触れることもなく、茶道の楽しさも分からず、成長もしないまま終えてしまいます。

好きだからこそ、成長を願うからこそ。

積極的に一生懸命、真剣に習う。

その心がけ一つを意識することで、心の上達に自然と繋がります。また、それらの意識の働きは自分の心や五感を研ぎ澄ますのを助けてくれます。

だからこそ子供たちがお茶の中での好きを自分なりに発見するお助けを私たちができればと思うのです。

稽古では真剣に取り組む積極的な心が大切であります。

また、茶道は焦らず人間的成長を待つことも肝心であります。

碧巌録に「吹毛剣」という言葉があります。

吹毛剣とは字の表している通り、ふわふわと落ちてくる毛を真っ二つにするほどの切れ味の鋭い剣を申します。

それほどの鋭い剣で何を切らなければいけないのか。切るべきものは私たちの心であり、歩みを妨げるものや執着心や煩悩、妄想などまだまだたくさんあります。

浮き立つ心や事あるごとにすぐに飛び出る心がなければこんな苦労もないのですが、心を迷わすものが現れたらズバッと一刀両断にする。

そして飛び出た心を新たにして自由な私を取り戻す早さを身につけることが大切です。

そのためには、いついかなる時でも断ち切ることができるように鋭い剣を常に心に持っていなければいけないのです。

鋭い剣を維持するためには、常に剣を磨かなければいけません。

常に切磋琢磨することが大切ということであります。

しかし、この剣の扱い方を間違い、振るうことに快感を覚えてしまうと自分さえも、相手さえも傷つける諸刃の剣になってしまいます。用心です。

どんな剣も切りまくり、切り続ければ必要がなくなります。きれなくなった剣をお守りのように持ち続けるのではなく、捨てること、そしてその剣のことも綺麗さっぱり忘れてしまうことも成長には必要なのです。

身体の成長に伴い扱えるものが増えるように、心の成長により扱える剣も違うのです。

そして、最終的に到達する先は「剣さえもいらない」私がいること。

千利休遺偈「人生七十 力囲希咄 吾這宝剱 祖仏共殺 提ル我得具足の一太刀 今此時そ天に抛」ともあります。

我が国に伝わる真の剣の奥義・秘義をお伝えします。

剣は最終的に捨てて忘れるもの。剣は相手や自分を生かす方法、無心なることを悟らせ、教えてくれるものでしかない。なぜなら剣は切る時さえも常に無心であるから。

ところで、昨今では口うるさく言われなくなりましたが、稽古中は「はい。すみません。ありがとうございます」この三つ以外は話してはいけないとする考えもあります。

とくにお家元の稽古ではこのような厳しさも成長には大切だとされています。

厳しさを如何するかは自分のこころ次第ではありますが。

最後に五感を喜ばせる方法を少しだけお伝えします。

目にうつる美しいお道具の数々、きれいなお茶の色やお菓子たち、美しい心を伝える自然な所作や点前をする人の姿を見てみる。

耳を澄ませば聞こえてくる松風の声、茶碗にお湯や水を注いだ時の音の違い、釜によって異なる声、問答から聞こえてくる心の声を聞いてみる。

鼻を通り心を落ち着かせ、清浄で和やかな気持ちもたらすお香、茶室に満ちる馥郁な香を嗅いでみる。

甘いお菓子食べ、ほろ苦いお茶をいただく幸せを口で感じてみる。

お道具の温もりや心地よさを手に触って感じてみる。

茶道には人の五感を刺激して喜ばせるものがたくさんあります。

子供たちが五感を働かせてお茶の中での自分なりの好きを見つけて、成長し、茶道を楽しんで習ってくれたらうれしいと思うばかりです。

そのためには待つばかりではなく、積極的にお茶の中に飛び込んでみる勇気も必要です。

子供たちの成長を見れる喜びに。御礼合掌。

日々は新たにして又あらた

豊かなる実りの子らの日々に幸あれ

佐々木宗芯

top