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見えないものに感謝する心「松風供一啜」

松風供一啜 立花大亀

(しょうふう いっせつに きゅうす)

松風さんにも温かな一服差し上げ、供に喫する心。

お茶を自分だけ飲むのではなく、天地万物の中のありさえも認識し、その対象にもお茶を点て友とし、一切合切を飲み干してしまう。

ここに有りながらも、無いとする有形無形の世界の姿があります。一切の超越した心境とも別の世界線ともいえそうですね。

松風は姿は見えないが、自分の頬や体をいつもソッと撫でてくれます。しかし、人はそれらの有難さを気付かずに、無視してしまいます。

それでも松風は人に寄り添ってくれています。どんな時も、どんな時も。

そんな松風を人がはじめて自ら認識してこそ、「お茶を一服どうぞ」と日頃の大恩に感謝報いること叶います。

見えないものにも感謝できる心がけが真の礼を知り、全てに感謝する意を汲めます。

この世の多くの成り立ちにより、自分は生かされているのだということを悟ることができます。

松風とは茶の湯の世界では釜の煮え立つ声を申します。

大亀老師直筆「好日釜」 立花大亀老師白寿記念つくり

一ノ瀬宗辰作

多くの者は一人の時に大いなるものの有難さを知るともいわれています。

人は人に依存したがる本能がありますが、人は本来孤独な生き物であり、この世には自分一人しかおりません。そんな世には多くの成り立ちがあり、一人ではないことを自然が教えてくれます。人間は孤独ではないことを知ります。

だからこそ一人静かに独服している時にソッと松風が話しかけてくれるかもしれません。

茶の湯の時、常に松風の声は聞こえているはずですが、心中穏やかに、平静している時にこそ人は素直に聞きやすいのかもしれません。

茶湯一会集を著した井伊直弼は茶事のあと、独服していたとされています。直弼も「この独服こそ茶の湯の心を知る最大の術である」と申しています。

「(以下引用)中国南宋時代の僧侶・介石智朋『介石禪師語録』の「偈頌」に「瓦瓶破曉汲清冷、石鼎移來壞砌烹。萬壑松風供一啜、自籠雙袖水邊行」(瓦瓶、破暁に清冷を汲み、石鼎、移り来て壊砌に烹る。万壑の松風、一啜に供し、自ら双袖を籠し水辺に行く)とある。

「瓦瓶」は「ツルベ」のこと。

「壑」は「谷」の意。萬壑(ばんがく)は多くの谷。

萬壑の松風とは多くの谷から吹き上げ、響き渡る松風のこと。

一啜とはひとすすりすること。

『江湖風月集抄』に「瓦瓶ー、暁き寅の刻にくむ水をば清華水と云也。清冷なるを以て汲之也。移来は石鼎を懐砌に移来也。又は汲みたる水を石鼎に移来也。万壑のー、煎茶の声如松風也。供一啜にあてんの義。而後に両手を袖裡に入て水辺に横行する也」とある。

多くの谷々から響き渡る松風を、ひと啜りにする義は、大なり小なり、長なり短なりと論ずる上にある絶対の大も小も、長も短もないと、差別を越した一味平等のおしえとあり、「一口吸盡西江水」と同じ境地をあらわしたものという」

以上が松風供一啜であります。

自分のあるべきようとは。この世のあるべきようは。

常に声をかけてくれる松風さんに感謝して。御礼合掌。

いずこから聞こえる松風の声 あぁここ今かありがたや 有難や

佐々木宗芯

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