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茶道論「おらが茶の湯(趣味論的観点から見る)」

茶道は高尚な趣味である!

趣味ではないような気がするなぁ。

茶道に対して色々な考え方があります。本日は茶道論が一つ「おらが茶の湯」と大物実業家であり財界人であった高橋箒庵さんは数寄者のお茶に関して称しました。趣味とした箒庵の観点を熊倉功夫先生の茶道論の系譜の研究内容「趣味論」と結び付けて展開いたします。

茶道論とは

「茶道とは何か」という問いかけに対して書き残される論を茶道論といいます。

茶道に対する直接的な言明だけではなく、直接的ではなくとも茶道文化に対する重要な論文提言も含まれたりします。

茶道の思想は時代や人々より異なる顔を見せるが、問題とされているのは茶道論を語らない、知らないとする茶人が多いとする事実であります。「茶道とは何か」とする問いは茶人であれば考えている若しくはある程度の体系化されている茶道論を踏まえていることが本来は大切なことであります。中には茶道論など不要!茶道は論理ではなく、言葉では語れないものだ!語るべきではない!そして「茶道とは何か」について語ったところで一側面でしか得られるものはなく、茶道の全体像の把握はすべきではない・できないとする意見もあるようでございます。

なぜ、茶道論をある程度茶人がそらんじとく必要があるのか、それは古今より「茶道」にたいする意識付けを行ってきた偉大な茶人たちの姿があり、それらの行為によりさらに茶道文化は多方面にわたり発展してきた歴史があるからであります。それらの理由からお茶に関わっている人々(茶人)が「茶道とは何か」という問いかけに逃げて、無関心を貫くことはできないといえます。

茶道について人に話す・話さないという問題は置いといたとしても、茶人たちが茶道の本質を探究して、自問自答に励みつつ、自ら思い巡らすことは更なるお茶の昇華につながるのではないでしょうか。

そして、お茶の先人の思想足跡を一歩一歩と進むことは茶人にとり不可欠な事項であるようにおもいます。

三つの茶道論

(本ブログは箒庵の趣味論的観点からの考察のため、「趣味論」を主な内容といたします。そのためここではその他の茶道論については簡単に説明します)

一 芸能論

茶道の切り口を「芸能」として捉えようとしたのは林屋辰三郎先生に始まります。先生は芸能の性格として巡事性と結座性をあげました。

巡事性とは寄合において、一人ひとりが順番にことを運ぶこと。

結座性とは一つの座のように寄合に集った者間である種の規範を相互に共有することで生まれる一体感。一座建立。

二 茶禅一味論

千利休の高弟が一人山上宗二が記した山上宗二記に「茶道は禅宗をもとに」とあるように、茶道と禅との関りは誰から見ても深いことは明らかであると思います。茶の湯と禅との関りは一休さんで有名な紫野の一休宗純より始まったといわれています。村田珠光が日々の茶の湯を成す姿をみて一休さんは「茶は仏道に妙所に叶うものである」と点茶に禅の心をみたとされています。

「料知す。茶味と禅味同じなることを。松風を吸い尽くして、こころいまだ汚れず」は千利休の師である竹野紹鴎が言ったとされています。

利休も同様に「すべて茶湯風体は禅也」といいました。

今利休と称された堀内宗心宗匠も「茶道は芸道ではないと思います」と話していました。

三 分限論

近世茶道においてうまれた分限論は、異風に包まれる芸能性を否定して、それにかわる理論を茶道に付与する考えとして根底にはあります。

分限論とは封建社会の基本的秩序の思想で、人は皆、それぞれに己の分限をもち、その分限を守ることが生き方として最も重要視される思想であります。

辞典では分限とは身の丈や自分の身分、才能、財力などをわきまえることを示します。

「おらが茶の湯」趣味論から見る数寄者の覚悟

自己の生活の一部として捉える趣味的観点が凡その「趣味論」としてみることが可能です。

時代の境目により発生した、旧来のあり方を規定する限定的思想に対する反目は茶道のもつ旧来の枠組みからも離脱する試みとして発生いたしました。中でも益田鈍翁などの明治以降、近代の財界の近代大物数寄者によりその行動は見られます。

近代数寄者とは、明治の中頃から昭和の初めころまで茶の湯で活動した政財界人を示しています。

当時の数寄者の多くは若いころは国や経済のため働いていたため、点前をしっかりと習得出来ずにお茶会を行っていたとされています。その中で出される道具の多くは名物ばかりであったため、一部の茶人に疎まれ、嫉妬の対象であったことが当時の数寄者への批判等の資料から読み取れます。

益田鈍翁は「茶道常識論」でも語るように茶の湯は時代とともに変化して、その新しい時代の変化に応じた茶道であれば良い、としています。当時の常識を失い、忘れ離れて、旧時代の知識にとらわれてはいけないと説きました。しかし、茶道を特定思想から解放するだけでは、その独自的意味を訴えることはできません。

益田鈍翁の茶友であった高橋箒庵も趣味とした茶の湯を掲げ昭和七年一月号『茶道月報』に「おらが茶の湯」という一文を発表しました。

「おら」とした一人称は田舎者風体を示し、京風、当時の真面目な茶の湯、精神を貴ぶ姿勢に戯作風に比喩しているといわれています。

「おらが茶の湯」は長い文章のため一部抜粋してお伝えします。

箒庵「茶の湯は本来趣味である、趣味として之を楽しめばそれでおらは満足する」と茶道は趣味として楽しむべきものであるとすることを言っています。

当時、財界数寄者は数多くの名品名物、利休由来の茶道具など多くの名物を集めては茶会で使用していました。そこで、言われたのが名物主義とする批判であります。箒庵は「茶は身分に応じて、富者は富むもの、貧者は貧者、それぞれ、その境涯に応じて自分の茶味を発揮するのが肝腎」とし「名器を使うのは茶人の不徳、というような見方は、おらは甚だ感服せざる所である」と名物を使うことは「茶人の不徳」とする見解には反対の意を示しました。

茶道とは茶道である

このような趣味論的な観点が現在でも主流となり、茶道は趣味であるとする人々の共通認識が多数を占めた世相が現れやすくなっております。

しかしながら、茶道はすべてを否定もせず、肯定もしません。あるのは人の個々の心の働き用で良いとする向きではないでしょうか。

心の持ち方を禅や信仰にもち、自分の身の丈を知り、趣味とし、芸道とし行うことも可能です。ようは人それぞれで良いのです。

世の中「こうあるべき」とする考えは人の慣習から、感情から導き出されるもののため、概念そのものには「あるべき姿」は存在しません。

皆々あるがまま、なるがままであります。

論として名をつけるとしたら世に自分に人に概念すべては「あるがまま論」それとも個々の茶人にお茶論を託す「茶人論」といたしましょうか。

茶道とは古に学び今に生かして己を知り、未来に洗練した形を残す方便であります。

そして一にお茶を行う過程で心が高まり深まることで至る道「お茶から心へ」

二に心の深まりと自己の高まりにより行われるお茶として「心からお茶へ」

この二つが茶道が形成されているように私は感じます。

先生方の研究によりお茶が深まる今に感謝をして。御礼合掌。

全は同道 有るは空 無は限りあり あるがまま

佐々木宗芯

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