茶道の世界でよく聞く、侘びるとは何のことでしょうか。
侘茶とは何のこと?
茶の湯の世界で当たり前のように行き交う言葉に「侘び」があります。
茶人にその心が求められ、また侘しいことを好ましい態度、美意識とする向きもお茶の世界には根強くあります。このような向きが茶の世界で生まれるようになったのは歌人でもあった村田珠光が「侘びしい」とする歌論の考えを茶の湯に取り入れたことから始まります。
珠光より始まった侘茶の湯の源流は続く、竹野紹鴎、千利休へと受け継がれ更なる昇華を果たすようになります。
辞典から見る「侘び」の定義
では、辞典ではどのように「侘び」を定義しているのか見てみましょう。
一 茶道・俳諧における美的理念の一つ。簡素の中から見いだされる清澄・閑寂な趣。中世以降に形成された美意識で、とくに茶の湯で重要視された。対極に「寂び」
二 閑寂な生活を楽しむこと。
三 思い煩うこと。悲嘆にくれること。
とあります。
概ねこの理解でよろしいかとも思いますが、肉付けを行っていきます。
侘びという文字を分解していくと人が家の中で坐っている様を表しており、頭を低くたれて坐る様子を示しています。
静かで、暴れ回るような姿ではないことはわかります。
この侘しい形や姿を茶の湯で茶人たちにより取り入れられると光彩を放つようになります。
茶湯の道具は一種にて事足りる
侘び茶の祖・村田珠光は「賤の伏屋に金覆輪の鞍乗せたる駒つなぎたるがよし」と言っています。「藁屋に名馬を繋ぎたるがよし」ともいわれます。
賤の伏屋とは侘びを体現させているものであり、そこに金輪を放つような名馬が一頭いれば、その馬はより輝いて見える。とする意味合いにもなります。閑寂な所でこそ本質的な美しさは顕れ、理解されます。
珠光が活躍した時代の茶の湯は「ばさらの闘茶」と呼ばれ、豪華景品を賭け合い、物持ちの良さを自慢し合う遊びのお茶でもありました。
その中において、いくら名物・唐物といえどもいくつもあれば、互いに殺し合い、他の豪華絢爛に押しつぶされてしまい、本当の良さというものはわかりません。
そんな時代に珠光は閑寂の中で輝く物の大切さを説き、茶の湯に精神性の高さを求めました。
数多くの名物名器の羅列、誇示することを戒め、道具は一種として茶の湯を成すことの重要性を珠光は見出したのです。
その珠光の見出した精神を現在の茶の湯も受け継いでいくことは大切なことなのです。
現在のお茶の世界はお道具自慢に陥っていないのか自問自答しなければいけません。
利休の予言と最大の侘び
利休は自分亡き後の今日の茶の世界の有様を予言している言葉があります。
「自分は侘び二畳の草庵の茶の湯を完成させたが、自分の死後は、やがて二畳のこの茶は百畳二百畳の茶になるであろう。これが利休が罪なり」と喝破しております。
千利休のおかげで、お茶人は自分の道を失わずに済みますが、やはり良いものを世に現出させると、人ゆえに源流を忘れ、淀みを発生させて、時が権威という化け物になり、人を喰う時代になってしまいます。
権威を誇示するために歴史を誇り、道具をひけらかし、豪華さで極めたもので他を圧倒するようになります。なぜ権威は精神を放りそれをするのか?それは、権威性の権現により食えるからであります。権威は生き残るために権威性を人に与えます。
所謂「偉そうな人」を生み出します。人が偉そうな態度になってしまう訳は権威という化け物の操り人形だからであります。権威は人に服従行為を求めます。そして権威性を帯びている人間に対して周りの人が服従の意を示すことで、権威者は「偉そうにしないといけない」とする無意識的な概念が心中において生まれます。
しかし、権威者の構成要素により頭を垂れる行為は真の畏敬、尊敬心ではありません。
「偉そうな人」ではなく、誠の意味において、「えらいお方だ」と思ってもらえるような立派な人物に自分がならなくてはいけません。
権威が自分には大切だ!とする気持ちは人であれば当然生まれる考えであります。人は元来臆病な生き物です。だからこそ権威により他を圧倒して、服従させることに安堵を覚えてしまうのです。自分が認められたとする安心感を誘発させるのだと思います。
利休は豊臣秀吉公に切腹を言い渡されました。秀吉は利休が謝りにきて、許しを請うことであろうと思っていたようです。
しかし、利休は宝剣を天に擲ち自害いたしました。ここに利休の妙があるように感じるのです。
秀吉は利休をとても慕っていたとされています。天下人に秀吉がなった後も頻繁に利休に政治含むあらゆる分野のことを相談するほどでありました。
しかしながら、秀吉は農民の子とする出自からコンプレックスが多く、華美で雅さを自分に求めたとされています。この秀吉の志向性は利休の簡素な茶との対立を生んだとも考えられます。
天下人・秀吉は自分のお茶を尊敬する利休に認めさせ、権威により屈服させたいとする意図があったのではないかと思われる節もあります。
最初は良かった二人の関係もどんどんと悪化の一途をたどり、千利休切腹という最悪な結末で幕は閉じました。
切腹は自らの身の潔白を証明するために、腹を切るともいわれています。腹黒さを否定するのです。
利休は自分の成したことの潔白、自分の茶の湯の実現により秀吉を暗に否定した事実を死という事実をもち、お詫びしたようにも感じます。
そして、このエピソードは利休の反権威性も表しています。
侘びる
お茶の侘びとは「自分はお詫びするほどのことしか貴方様にできませんが、お茶でも一服いかがでしょうか」とする気持ちなのではないかと思います。
そのお詫びに尽くすような気持ちがあれば人と競い合うような心は働かず、人は謙虚となり、人や世に対する誇示や示威行為には走らず、常に和顔愛語溢れるお茶を成すことが叶います。
侘びとは不足を嘆かず、満ち足る心を知ることから始まります。
お茶をともに喫茶する友がいるという満ち足りる心、有り合わせの道具ながら茶の湯を楽しめる満ちる心などであります。
私の祖母は「自分の身に合ったもので相手様をおもてなしする。高価なものではなくとも山に行き竹を取り、花入れや茶杓を作る。自分で成せるもの全てをもってお客様をお迎えする。それも侘びの考えの一つではないかと思います。大切なのは相手を思いやる心、敬う心ではないでしょうか」と言っています。
侘びる気持ちは上辺で成立はしません。巨額に投じた侘しい茶室やお道具は見かけのものであります。そして、それらを人に誇示することは互いの心の中に揺らめきを引き起こします。
そして、侘びには物が不足して、一つも自分の思い通りにはならず、何事も上手くいかないとする意味もあります。
「侘傺」という言葉もあります。「離騒経」の注には「侘は立ち尽くすこと、傺はじっと留まることである。思い憂い、失意の中、立ち止まり、前へ進むことができない」とあります。
また、「釈氏要覧」に「意気揚々と修行者は問いを投げかけた。『欲が少ないこと、足ることを知ることは、どのような違いがあるのか』と。すると仏陀は『欲が少ない者は、求めないし取ることもしない。足ることを知る者は、少ししか得られずとも悔んだり恨んだりしない』」とあります。
これらの言葉より侘びを見た場合、揃わず調わずとも、揃わず調わずという気持ちを持たず、不自由にあっても自然のことと受け入れ、不自由さを思わず、足りなくても、足りないとする心を生ませない。これが侘びの考えの一つともなります。
道具は自分の持てる有り合わせ、不足を知足に思い、不自由さの中に自由さを育ませるであります。
不足する中に美を見出す、面白さを生み出す。これも我が国に古来より続く美意識の一つでもあります。
従って、不足、不自由、調わずを嘆き、補う意図ある者は「侘び茶人」ではなく、実に「心の貧しい人」となります。人は何々が自分には足りないとする気持ちから、他に対する欲や執着が発生します。
侘びを侘びとして思ってはいけません。無心になろうとする気持ちが既に有心とするように、無心になろうとする気持ちある時点で無ではないのです。
侘びを意識的にしすぎてしまうとそれは侘びではなくなります。しかしながら、侘びというものを深く志向して励むことも必要です。
世を有無とし、ありのままを受け入れる姿勢が大切なのであります。
自然と育まれ、有る「侘」が執着や欲から自分を遠ざけ、「ありのまま」となり不足とする世を知足の世界へと変えてくれます。
茶人の心中より生まれる侘びの心
侘びとは作為的にそして意識的に表現し、世に現出されうるものではないと私は思います。
茶人の生き方で考えれば侘びは本は内から自ずと出る自然なものであり、無為で自然に世に構成するものの「あるがまま」の現状そのままが侘びであると考えます。
作為により生まれた侘しい姿や形は作られたものであり不自然なものであります。
茶人の内から自ずと生まれ出づる侘びの心を世や構成物に対して投影する鏡のように映し出す姿こそ自然であり、あるがまま、ありのままの姿であるのです。
また、竹野紹鴎は「数奇者というは隠遁の心第一に侘びて、仏法の意味をも得知る」と言われました。
数奇とは「片われにして、相揃わず」という意味です。相揃わずとも、嘆くこともなく、茶の湯をあるべきようにして楽しむこと叶います。
そして、竹野紹鴎の侘茶の神髄は「正直にして慎み深くおごらぬ様」といわれます。
立花大亀老師は「形式的な生活になりがちな昨今の茶人を遺憾とするのです。人はもっと謙虚になってほしい。しかしこれも叶いますまい。古いものは捨てられ、新しいものが世を支配する。しかしながら、再度申し上げます。茶の湯に侘びはなく、茶人の心中に侘びはあると。そして、侘びとは耐え忍ぶ心であると」
以前もお伝えいたしましたが、最後に宗祇、肖柏、宗長ら三人が歌った良き連歌集「水無瀬三吟」より私が北茶に持ち続けてほしいと願う心、お茶の意を古人になぞらえてお伝えします。
97番目 山はけさいく霜夜にかかすむらん 宗長
98番目 けぶり長閑に見ゆるかり庵 肖柏
暗く霜の厳しさ有る山の中を歩く者は、前を向けば霞む視界に参っていた。
ふっとその者、顔をあげると、そこには煙が立ち上るどこか懐かしい庵が目についた。
何故だろうどこか長閑な場所に感じるなと思いながらも、霜で冷えた体暖めようと庵ににじり入った。
そこにいたのは笑顔で迎えてくれる一人の茶人であった。
茶人は何も聞くわけでもなく、ただその者に手を拈り微笑を湛えお茶を点て差し上げるのであった。
すっかり心も体も温かくなったその者はまた、厳しき霜夜の中に戻るのであった。
また此処をいつでも尋ねることができると分かっているから。
お茶をみんなと飲める満ち足りる日々に。
御礼合掌。
和敬清寂 円より満ちる和顔と愛語
心中喝 あるべきようは あるべきようは
佐々木宗芯