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茶の湯の世界「茶杓」

茶杓で月を釣る

茶道でよく見る竹のスプーンって何。

茶杓をあれほど大切に扱われる訳はなんだろう。

茶杓の銘に込められている意味ってなんだろう。

茶杓って自分で削り用いて良いの?銘も自分でつけて使っていい?

竹の大きい耳かきのようなスプーンを茶道では「茶杓(ちゃしゃく)」と申します。

その茶杓とは抹茶を茶入れ、棗(お茶の入った容器)などから掬うために用いられる道具の一つであります。

竹以外にも木や象牙等色々な素材で作られたりしております。

竹の茶杓を主に用い始めたとされているのが千利休の時代であります。それまでは主に象牙や鼈甲などがなどが主流でありましたが、村田珠光が竹の茶杓をはじめに開発して、作り、その弟子たちに広まりました。

よくお茶会などで見られる、竹の中央に節(中節)を見出したのは千利休と言われています。

茶杓は今でこそ筒に保存して、後世に残すことをいたしますが、利休の時代では一会のためだけに茶人の手により作られ、破棄される道具の一つでありました。しかし、利休切腹に際して、自分を見送りにきた弟子の細川三斎、古田織部に感謝の意を込めてそれぞれに茶杓を削り、送りました。そこから筒に入れ、大切にする文化が始まったと言われています。

細川三斎は師から受けたその茶杓に銘をつけ「命(ゆがみ)」

古田織部は銘を「泪(なみだ)」とつけました。

ゆがみ、泪それぞれの銘に師である千利休への思いやその世相のゆがみを嘆く悲しさが込められているように感じます。

茶人自らの手で作られることから、形代としての性質もあるとされています。形代とは物に自らの身を移す、分身として見るという一種の日本的な考え方であります。

また、茶杓は「茶人の刀」と言われるほど扱いに慎重さが求められます。

点前中、茶杓の櫂先を上向きに清めてはならないと言われたことがある方がいると思います。それは刀の手入れの際に刃先を上向きで扱わないという理由からも来ています。

刀は武士の命、心とも呼ばれるほど大切に扱われてきました。

それと同様に茶杓も茶人の命でもあり、心の意味がある大切なものであります。

茶杓の銘とは即ち心の名前であります。その心の名前をどの様に受け取るかはその人次第であります。

例えば銘に「無事」とあれば千差万別で意は変わりますが、「無事で達者で」「ご無事に成功しますように」「無事に収まるように」「無事に(なきこと)」色々と変化します。「有」と掛物にあれば「有無事」にもなります。

茶杓の扱いに中節と切り止めの中間を持ち扱うのが良いと仰る方もおりますが、古来の扱い方を見るに明確に決まりはありません。自分が持ちやすい位置を持つことが大切であります。手の大きさも違いますからね。

茶杓を清める時は自分の持ちやすい位置を持ち、茶杓と自分が一体のように扱いきることが大切であります。緊張している、怖いとした気持ちをそこで落ち着かせるように自分をも清めるようにゆっくりと扱います。息はゆっくりと吐きながら行います。

手がプルプル震えても大丈夫です。緊張する点前こそ天下一であります。

しかし、中節を越えて持ってしまうことはお控えした方が良かろうと思います。中節の先は刃と見ると、手が傷ついてしまいます。茶杓の線状にある節は一つの結界と見る方も可能です。

このように茶杓は茶人の心の形でもあり、唯一といっていいほど自作可能な茶道具の一つであります。

古の茶人たちも自ら削り、一会のためだけに茶杓を用いました。

そこに現在的な茶杓の価値論は含まれていなかったはずであります。

人は高ければ高いほど、歴史があれば更に良いとする意志が発生しやすいです。金に縛られるとはこのようなことを申します。金縛りでございます。

一本何十万、何百万、何千万の茶杓に憧れ、高価なもの求めるよりも自ら作る意は大いにあります。

人の決めた値段を超える、かけがえのない自作茶杓を見出し、その一会の一期のためだけの銘をつけ、お茶会、お茶事を更に特別な時間にしてみてください。時終われば儚く消えますが確かに残り続けます。無常観でもあります。しかし、超常観でもあります。無事とも呼べそうです。

こうしてお茶を無事に飲める事。御礼合掌。

開ける茶に釣り竿茶杓 心耕し 己が子生まれた

佐々木宗芯

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