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茶の湯の世界「掛物の意味」

お茶の世界では何故掛物を重宝して床に飾っているの。

席入りの際、掛物の前に座り、扇子を自分の前に置き、何故礼をするの。

家元の書いたもの、お坊さんのものたくさんあるけど自分が書いて飾っていいの。

掛物の字が読めないから嫌いだな。

絵のみ描かれた掛け軸を飾っていいかな。

茶室に席入りの際、必ず先に向かい礼をする対象にお掛物がいます。そこに書かれているのはご亭主の伝えたいことやその日の趣向といっていいのでしょうか。会の意があります。そのため一期の一会のお茶の意を解するためにはやはり掛物が貴ばれます。

ここでは主に目にすると思われる墨蹟についてお話いたします。

墨蹟とは今でこそ大徳寺のお坊さんが一筆書いたものと限定される向きがありますが、本来は「人が書いたもの」が墨蹟であります。墨跡は墨をすり蹟するとなります。日本では一般に僧侶が書いたものとされていますが、人が墨をすり、書けば墨跡とはなります。

しかし、僧侶、大徳寺のお坊さんが書いた墨跡を重宝した動きに一役買っていたのが、利休の師であるといわれる竹野紹鴎、千利休であります。ともに自分が参学参禅修業した南宗寺のお坊さんが書いた墨蹟や中国由来の僧侶が書いた掛物を茶室に飾りました。

竹野紹鴎のお茶の形成に寄与した人と言われる方に大林宗套がいます。彼は僧侶であるのと同時にお茶人でありました。千利休もその意を受け継ぎ、墨蹟をより尊び用いたとされています。

また、大徳寺は今でもお茶の大徳と言われるほど茶道との関係は深いです。その関係形成に大きく寄与した人物に千利休がいます。

茶室の中で、墨跡が尊ばれる意としては、その書に有り難い教えや仏法の智慧が内包されており、それらを掛ける事で一身にその教えを受けるからであります。教えを会得し書いた人やその教えを生み出した御人が居られると思い頭を下げてお受けします。

しかしながら、墨跡を書いた人、全てを純粋に尊べるわけではないと思います。人であります故に人の好み嫌いは素直に申し上げると出てくるのは致し方ありません。礼をする対象の人の構成するもの、行動、言動からその敬は自ずと発生します。

書は人の心を表すとも言われるほど、千差万別であります。書いた人を偲べたり、思いを受け取れたり、その書いた時の心境が見て取れます。面白いものです。

面白いと言ったら誤解を招きますが、千利休の時代に活躍し、利休の死の直接的な原因になったのでないかと言われている石田三成が敬愛した大徳寺の僧侶に春屋宗園がいます。彼は癖があったのか当時からよく見られた動きはありませんでした。彼の墨跡がかかった茶会に招かれた近衛予楽院は今日この場に嫌な坊主がいると言ったとされています。近衛さんはこの春屋を非常に嫌ったと言われています。

また、ある茶道の家元が招かれた会に自分の書いた墨蹟を発見し、礼もせず、一言もそれに触れなかったとされている逸話も聞いたことがあります。

床の間は空間の一つ高い位置に置かれるほど、神聖で清い場所とされています。教えの根源たる場でもあり、古来より日本で床の間は仏、神の居られる場所とも言われております。

床に今生きているご自分の書いた墨蹟を飾り、お茶に招き、人々に頭を下げさせることに私は嫌いを覚えます。こういう場面に遭遇した時に言うことは決めております。「あなたは何人?掛物にご亭主がいるのですね」と。微笑ましくニコリと目は笑わずにお伝えします。ご亭主が会得したもの、お茶の心を伝えるのに二人もいりません。宗旦宗匠のお歌を私がお借りして少し変え「茶の意は心に伝え、目に伝え、耳に伝えて一筆もなし」であります。

亭主、客ともにその意の会得を目指します。意の会得とは教えだけではなく、お茶の意でもあります。掛物が亭主とお客、会の心を映し出し、自分の心を投影させる方便として大きな役割があります。

そのため書いた人も大切ではありますが、一番は人の云々より、掛物に内包されている心や会の意図、その精神、教えであります。それらを一番に表現するに掛物の機能は計り知れません。

全てに礼をすると思えば好き嫌いの心は生まれないと思います。

しかし、掛物の目から覗かせる人はいますから気を付けなければ大変なことにもなります。ジロッギロリと。

茶室で茶扇を用いて結界を作り礼をする対象は二つであります。一つは人、二つは掛物に住む人と心であります。

最近、掛物が読めないとする向きが生まれているらしく、誠残念に思います。書は書いた人の千差万別で有る故、読みにくい字や解読に難航するものもありますが、その時はただ読めないだけかもしれません。いつの日かその意を汲める心の器を用意しとくためにも、今に努力精進であります。

掛物を読むために必要なのは、多く触れることに限ります。そして書に関して書かれた書物や偉人、僧侶の字体を勉強しつつ、自分でも筆をとり、書き続けることです。いつの日かご自分の書風が生まれると思います。

茶室に絵のみの掛け軸を飾って良いのかとするお声も聞こえます。結論から申し上げますと、飾っても良いです。しかし、絵に心が奪われるとする言葉もあるように気を付けなければいけません。また、絵は煎茶趣味といい嫌う向きもございます。しかし、鷺の絵という村田珠光の侘びた珠光表具の素晴らしさを千利休は「数寄の極意」と評し、褒めた絵もございます。何事も用いるお茶人によりますということであります。

絵のみより字が添えられているほうが良きにございます。

以上のことから掛物にはそのお茶人の心の意が含まれております。貴方がお茶を稽古しておらず、知らずともお茶会に招かれた時は掛物に目を向けて、ご亭主にお尋ねください。そして一言「私はお茶を知らないので、お聞かせを。」と話しかけてください。

私は茶仏を毎日書いています。

墨をすり円相の中に茶仏を描くのみであります。

茶仏

その茶仏も周りの人にもお願いされ、SNSを介して書いてほしいとのお話をお受けしてきましたが、いつも依頼されて書くことは断っていました。しかし、最近その声も高まりを見せ、お願いされる機会も多いため書くことにいたします。

お受けしたい方はご連絡くださいませ。

連絡先 北茶事務局 ✉:hps.office@kitasa.or.jp

全と然 黙然一味 只坐す

佐々木宗芯

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