織部カップ 抹茶
先日所用があり午前に札幌駅に伺いました。その際に焼物市のような場所が開催されており、ちらりとお供の者と一緒に見てみると抹茶が点てられそうな大きさ、ほど良い重さの片口がついたカップを発見いたしました。想像するに抹茶椀にできるのではないかと考えました。
これは普段用としてお茶を飲んだり、テーブルの上でお茶を点てるのに使える、外国で使うのにも面白いと思い、早速購入して、午後からの稽古でみんなに使ってもらいました。
色々と試行錯誤して使い、考えているお弟子の姿がどこか頼もしく感じました。
取っ手はどうするのか。どのように持ちつつ飲むのか。片口は。点前での扱いはどうするのか。茶巾は。など織部のカップの扱い方を皆で真剣に話し合っている、その姿は微笑ましかったです。
このカップは懐石料理にも使えそうですね。
織部焼の生みの親の古田織部は見立ての名人としても名があります。師にあたる利休とは違った作為や激しく動的で不完全でへうげな物を好んだ織部公が現在にいたらどのようにこの織部のカップを扱うのか気になるところであります。
見立てとは
「物を本来のあるべき姿ではなく、別の物として見る働き」が前提にはあります。
では、見立てとは何のことを辞典では言うのでしょうか。
一 見て選び定めること。
二 見た感じ。見栄え。
三 なぞらえる事。
四 芸術表現の一技法。対象を性質の似た他のものになぞらえて表現すること。
五 和歌など茶の湯に用いられる。
見立てることの始まり
我が国の見立て文化の始まりはとても古く、日本神話の時代まで遡ります。
古事記の国産み伝説の中に「見立てる」という概念の現出を確認できると言われています。
その文が。
「その島に天降りまして。天の御柱見立て。八尋殿を見立て。」
であります。
まだ国が定まっていない中、何かの自然物の柱をシンボルに定め、神秘的なものを宿す意味合いで柱を見立てて、国の象徴として設けたとされています。柱を見立てることで皆の集団としての概念を統一的に想像したと思われます。
茶の湯の見立てエピソード
見立ての概念を茶の湯に取り入れたのは茶人たちとされています。その中でも名のある千利休が用いた見立ての茶道具たちは今でなお、その影響の片鱗を覗かせてくれます。
利休の師とされており、利休のお茶に大きな影響を残したとされる竹野紹鴎は「紹鴎遺文」にて「数奇者は誰も顧みぬ道具を茶器に見立てて用いる事」と弟子に残しました。
また、千利休は「見立て」を大いに用い、既成の概念に囚われず、さまざまな価値観を生み出していきました。利休の見立てにより茶道具としての命を与えられた物たちは当時の概念を打ち砕き、新価値観を生み出していき後世にまで続きます。
利休は壊れたものさえ見立てという命と意味を吹き込むことで再生させたものがあります。
公家趣味、華美を好む秀吉公は粗末な竹の花入れが嫌いだったとされています。
天正18年の小田原攻めに同道した利休は秀吉公にと伊豆韮山の竹を用い花入を作りました。しかし、嫌った秀吉公は花入を庭に投げ捨てました。その時一筋の割れが生まれ、水漏れがするに至りました。通常であれば破棄するしかない花入れを利休は拾い、釣鐘の割れで有名な園城寺になぞらえて銘を「園城寺」と名付け使い続けたとされています。
利休がこの花入れを使用した折、客から花入れの水漏れを指摘されても、利休は「この花入の水が滴るところが命です」と答えたとされております。
また、日常用品を茶道具に取り入れるなど多くの見立てを行いました。例えば水筒としての瓢箪を花入にしたり、船の出入口を茶室に取り入れたりとしました。当時の南蛮物を茶道具に転用、雑器の高麗茶碗を抹茶椀になどもあります。
「見立て」は用いる勇気から始まる
見立てにより新たな価値を生み出していく。まずは恐れず見立て使って、考えてみる事からすべては始まります。そしてみんなと話し合い、更に昇華させていくことが必要です。
織部さんと偶然出会えたことに感謝して。御礼合掌。
織部カップの花や口 ひょうきんかな
佐々木宗芯