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心を素直に受け入れる

昨日は別日に行った炉開きに続いて、正午の茶事を行いました。

お弟子のニコニコとした笑顔を見れること、みんなとお茶を飲めること、こんな幸せなことはありません。

ありがたいことです。

炭やお茶をプレゼントしてくれました。

ありがとう。とこの場でも感謝をお伝えできればと思います。

お茶事ではプレゼントしてくれたお茶がありましたので、急遽、濃茶を二服練ることにいたしました。

「皆さんからお茶を贈っていただいたので、今日は濃茶を二服練りますね」と私は言いました。

みんなの顔がよりパァーと明るくなり、喜んでくれている様子。

みなさんの満面の笑顔と大きなお声での返答「はい!ありがとうございます」が今でも耳と心に残っております。

濃茶をいただいている一人一人をお顔をニコニコと拝見しておりましたが、ホッとしたお顔、満面の笑顔、幸せなお顔とありがたいことに見ることができました。

茶人として冥利に尽きます。

お正客さんが問答の時、感極まって泣いてしまいました。

心に届き、響いたものがあるのなら良かった。良かった。

さて、今やるべきことをやらないと、咲くものも咲かずに終わってしまいます。

人がやるべきこととはなんでしょうか。

それは人として素直に生き尽くすということであります。

幸せな時は幸せを素直に喜べばよろしい、苦しい時も無理に苦を抑えつけようとせずに苦しんでみればよろしいのです。

悲しい時も思いっきり悲しんだら良いのです。笑う時は笑う。

それが人として生き尽くす一つの方法ではなかろうかと思うのです。

人はどうも素直に生きることが難しいと思ってしまうようです。また、仮面をかぶって生きることが正しいかのような認識もございます。

あれやこれやと正当化する理由を作っては、自分や人から逃げる。

忙しさを理由にしたり、他のせいにして自分の本性や素直で純粋無垢なるものを自ら遠ざけてしまう。

何もわがままに生きる。ということではありません。

生き尽くす方法は自分から出た感情や思いを素直に受用するということであります。

もっと言えば、受け入れて良い方へと導けるように楽しみながらそれらの働きを上手く用いてしまうのです。

心が飛び出てしまった時は深呼吸をして心があるべきところに坐し戻ったイメージをする。そして、悪いものは口から吐き出すイメージをする。

そうすることで自分が絶え間なく磨かれ続けるのではないでしょうか。

人は感情を上手くコントロールできないようになっています。

感情をコントロールしようと思えば思うほど、逆の方向へといってしまいます。

相伝式でのお話をします。

お弟子は自分が相伝を受ける日であるため、朝から心落ち着かずソワソワとしていたようです。

心の中で平常心(へいじょうしん)平常心。と思うほど心が反対の方へといってしまうと朝から悩んでいたようです。

その心は水屋でも現れていました。

そこで私は

「平常心。平常心。と思うほど逆の方に人の心は走ってしまいます。掛物にもありますが、平常心是道(びょうじょうしんこれどう)。今素直に発露しているものや今の心の状態こそ道である。この先の道を作っているんだと思ってみる。そうすると心がだんだんと落ち着いてきますよ」と話しました。

このように話したことで、お弟子は心に落ち着きを取り戻し、自分と向き合えたようです。

自分の気持ちや心の状態を否定するのではなく、素直に発露しているものを受用してみる。

それが人として生き尽くす道をつくる一つの手段になるのではないかと思うのです。

また、周りの人のことも受け入れていけるような真ん丸な慈悲の心も大切であります。

人生を生き尽くすためには周りや環境、人や世の中に遠慮して、自分を見失うことがないようにしないといけません。

自分を失い続けると、最終的には消えてしまいます。

自分のあるがままを知り、受用する。

自分から素の自分を受け入れてあげる。

そしてなるがままに委ねてみる。

それが人として生を全うするに大切なことではないでしょうか。

自分を大切にできるようになったら、周りの人も大切にする。

まずは特別な人である恋人や家族を何より信じて大切にする。

それらの行いがめぐりめぐって、善き方へと自分の人生を導いてくれるのではないかと思うのです。

何より自分を大切に。人を大切に。合掌。

宝山雑然無念と嗚呼もなく

我が身一つが宝珠なり

佐々木宗芯

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