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喫茶して心飲む「お茶を飲むということ」

何故茶道ではあんなにも恭しく重々しくお茶を飲むのか。

お茶を一服と言われたらなぜか緊張してしまう。

でも、楽しかった!という声から温かな気持ちになったり、優しい味であったという声がお茶を飲んだ茶道の稽古をされていない方から多く聞こえます。そして普段は大はしゃぎで遊ぶ子供さんも御茶会では慣れないはずの正座を大人以上に励む姿が見受けられます。背筋を伸ばして真剣な眼差しはそれはもう可愛らしく凛々しく見えます。

お茶を飲むということはただ一椀飲む行為です。されどその一椀にはとても想いが入っています。その点ててくれた方の想いの形が詰まった一椀を飲むということです。点てる時の前、お茶を喫茶する空間が出来上がるまで大変な努力がございます。無数にある茶道具を行うその会を思い納得のいく形になるまで考え、組む作業。道具組に妥協はありません。何故ならその会はもう二度訪れることできない時間軸だからです。当日来られるお客さんの気持ちや心を汲み、また季節や歌の世界など多くを取り入れ当日を迎えます。

室町時代侘茶の祖といわれる村田珠光はあるお茶会でお茶をゆっくり飲み噛みしめるかのように飲んでいたとされております。「この一椀が冷えなければ一日をかけて飲みたいものだと」と話していたとされています。珠光さんはこの一椀に詰まった想いを飲み、亭主の心を汲み、一期の一会を楽しんでいたと思われます。

一椀の想いから亭主はお客を思い、客は亭主を思う、そのために礼はあります。では、礼とはマナーや作法を示すのかと問われれば否であります。礼とは思いの形を「動」をもって伝える方便だからです。お茶の世界では自分なりに人を空間を想う形に動作がなってさえいれば文句など言われません。想った上で笑う者や嘲る者、悪く言う者が茶の世界でいたら立ち去るか関りを断ちなされ。ただ「静」をもって臨むだけです。

相手を想う型や和の有る形を学びたいと思う時が来たら茶道の「礼」を学び、日常で生かしたら良いのです。日常でその型や心を生かすと自分と相手 との関係もより新しく進みます。

また、普段恥ずかしくて伝えられないこと、間接的に思いを伝えたい場合はお茶を点て尊い一椀をもってその相手に伝えられる日本的なコミュニケーションツールとして茶道は大いに用いられるのでないでしょうか。道具をたくさん集めなくとも各一種類あれば茶の湯は行えます。茶室に限らずテーブルの上やニトリさんの畳の上でも想いの形は散りばめられます。しかし、言の葉も必要ということは忘れずに。

茶の湯とは人の心を種として満に満に充ちいく方便なり。

佐々木宗芯

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