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北海道「頭大仏の眼」

ある日、私は誘われて北海道の滝野にある頭大仏様を拝みに参りました。

その道すがらの森から自分を迎えてくれるかのように聞こえてくる、大歓声を彷彿させる虫や鳥の声に感慨無量となり、車中にて一人泣いていました。そして、虫、鳥の囀りに心癒され、至るまでの道中は心が躍っていました。

気付かない内に自分は疲れているということが認識出来た瞬間でもあります。

人は一人で生きていかなければいけない。とする考えもあります。人が生きることは一人なれど、どうしても人の心は疲れてしまいます。そんな時、周りを見渡し、フッと横道にそれ見ると、この世の自然が我が身を包み込んでいることに気が付くのではないでしょうか。

朝に昇るお天道様、夜に浮かぶお月さん、人語を通し会話はできないが、語り掛けてくれる虫や鳥、雨音に風音、時には落雷と。

この世を生きることはとても苦があり、辛く、険しい道を歩かされます。人からの罵声を受け、悪口陰口を言われ、自分の人間性や人格までも否定にくる人はこの世には多く居ります。

何故、そのようなことをしてしまうのか。それは彼らが鬼であるからではありません。寂しく、満足せず、自分が正しいとする考えに染まっているからであります。決して人ならざるものではないということだけは理解してください。

そんな人にも優しく手を差し出すことができる人間に貴方は気付いた時なっています。なぜなら、貴方は人の痛み、苦しみ、辛さを一番理解できるからです。

苦を受け、辛くとも貴方は一人ではありません。今こうして私は貴方様に語りかけていますし、少し是とする道を歩くのをやめて、横道を歩んでみましょう。そしたら、きっと自然は語り掛けてくれます。「貴方は一人じゃないよ。私が、私たちがいるよ。」と。

何よりそんな人に巡り合ったとしても、自分はそのような人の心を荒らし、喰う人にならず、ただ静かに手を合わせ、まずは礼に努められる人間になればよいのです。

その心持は貴方の心を富む方向に持って行ってくれます。

大仏様に至るまで薄暗闇に包まれている胎内的空間トンネルの入り口にて摩訶不思議なことがありました。

それは、大仏様の眼かと思われるほどにはっきりとした眼が顕れたからであります。

科学的に言えばレンズに付着した指紋等、埃が光を受け、このように形作られた。となりますが、この写真を撮れたことで心が救われた人もいるのも事実であります。

何を見出すのも無心の眼で有るものを認識できたものこそ、それは真になります。こうして大仏様の眼が光を借りて権現されたように。

ありがたや、ありがたや。

天に頭を擲ちて 無心大仏 摩訶不思議

佐々木宗芯

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