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お茶の座り方「茶道=正座の壊」

茶道は正座を強制されるからやだ。

正座ができない。

正座が歳のため長く続けられない。

茶道の座り方といえば「正座」が当たり前とする風潮があります。

正座できないとお茶ができないとする向きもあります。

それらの流れも一種の礼法として残ってる以上、否定すべきところもなく、良いことではあります。

しかし、茶道において「正座」を必ず遵守して行う必要はありません。

これらのイコール関係は茶道=正座→「茶道は正座で行う」が当たり前とする一種の刷り込みが行われているからであります。では、その刷り込みはいつ頃から始まったのか見ていきましょう。

明治初期以前、少なくとも江戸終期前のお話ではありますが、昔の茶人たちに決まった座り方は定めていなかったとされています。もっと言えばお茶会、お茶事の正しいとする座り方は少なくとも明治の始まり頃までは決まっていませんでした。このことについては多くの専門家も指摘しています。

その証としてよく見られるのが、表千家7代・如心斎より江戸での茶道教授を認められた、川上不白(1716年〜1807年没)の木像から読みとれます。彼の木像を見てみると、半跏趺坐若しくはアグラの姿勢をとっています。そのことから正座が正しいとする向きは少なくとも江戸中後期はなかったと思われます。

更に千利休の肖像などを見ていただけるとお分かりになるかと思います。正座ではなく、これは今で言うアグラ、禅の座り方・結跏趺坐の崩したバージョンの半跏趺坐であります。

この半跏趺坐という座り方は禅の結跏趺坐の略式で、両足の甲をそれぞれ反対のももの上にのせて押さえる形の座り方であります。

千利休

また、茶道において座り方の自由さを認められる証拠として挙げられるのは、千利休の愛弟子であり利休七哲の細川三斎の伝書『細川茶湯之書』の一説にあります。「客が安座してくつろいでいる時は、主人は片膝を立てていた」と残されています。

今で考えたらとんでもない!と叱られるような内容であります。

しかしながら、これらの流れからわかるように正座は茶道の正しい座り方としての顔は崩壊しています。正座絶対とする意はどこにもありません。

正座の意味

それでも正座を放棄する!とするのは少し早計なので、正座とは何かをお伝えします。

正座はそもそも畏まり敬う意図から神仏の前、自分より目上の者(昔で言えば殿様や雲上人)の前でする座り方であります。

この理解をお茶に当てはめると、正座とは一会の一期に真剣な気持ちで畏まり、謹み臨む姿勢といえます。そのため、正座の意味を放棄することには結びつきません。

何より茶道とは命がけの人との対峙であると古来より言われています。

人は形から入ると申すように、その正座する姿勢は畏まり、謹み臨むとする心をつくります。しかし、如何なる人にも畏まり、敬い臨むことできる者にその姿勢を強制する事は茶人はできないと心得なくてはなりません。お茶や人はこうあるべきとするあるべき論を放棄しなくてはなりません。

足の痛さに客が根気負け、お茶事、お茶会でお茶の味が感じられなくなってしまう方が残念です。

そして足の不自由な者、歳により正座叶わぬ者にもそれを強制しないのと同じであります。

「お楽にしてください」の意

亭主が点前畳に座り薄茶点前を始める前、礼をします。その意は「どうぞお楽にしてください」であります。この意味を考えた時、受け手となるお客は自分の不自由、無理のない座り方にしても良いのです。所謂、安座となります。

お茶事を慣れないお若い方なら経験したかとは思うのですが、薄茶点前の時にはすでに足が痛いとする気持ちがあったと思います。それはやはり三時間ほどずっと正座しているからです。御亭主よりお楽にとする意を汲めた時、一言「足が痛いので少し安座します」とお伝えしたら良いのです。

そしてお茶を飲むとき、正座に戻し、点ててくれた尊き一服を頂戴したら良いでしょう。その姿勢から亭主にすべて伝わります。

また、気になるようであれば先に亭主にお手紙や言葉にて「正座苦手の故、安座を所々では失礼します」と断っておけば良いのです。

六つの段階 守破離忘無有

人は何処かで刷り込まれた世界がそれが「正しい。当たり前」と思い生きています。それらの姿勢は思考せず、探求せず、染まっている証拠でもあります。また、心の働きがない者でもあります。

型は守るべき大切なものであります。されどそれら型を更に進ませるためには一度壊す働きも行う必要があります。そのために多くを学び、稽古を通して壊す法を知るのです。そして、離れ見て、それらを忘れ戻り、一心無の境地に運び、ありありとする。それが大切ではないでしょうか。

自分の形を作るには、まずはただ座り、古に学び、型を守り、稽古を通して自分なりの型や形に少しづつ変幻させ臨機応変な働きが生まれるように絶え間なく同じことを繰り返すのみであります。

坐せることに。御礼合掌。

守り壊して離れ見る全て忘れて無に三昧 実にありあり 心の形

佐々木宗芯

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