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円に相をうつす「自己の解放」

どうしても心が上手くいかない。

何かモヤモヤする。

人を見てイライラする。

色々な声があると思います。

人には自己の中で解消出来ないものが幾つかあります。それらが溜まり続けるといつの日か爆発してしまうものです。

そのようなことが起きないように円相の考えに触れてみましょう。

では、円相とは何を示すものなのか。

辞典などでは。

一 悟りの形象として描くまるい形。心性の完全円満を表す。

二 禅僧などが完全な悟り、心の本来の姿を示すために描く円のこと。

とあります。

円相とは世の全てであり、自己の心でもあります。

円相は見る人により形も意味も変わってくれます。

円とはある姿を視覚によって認識可能な世界観を申します。所謂、「有る」と見ることです。

相とは構成物が本来「無」であるため世に視覚では認識不可能な世界をいいます。所謂、「無い」と見ることです。心の目とも無意識、自己の心の総体とも言えます。

人は有る現実の自己と無い理想とする自己をもっているものです。この現実と理想の不一致が起きた時に心の乖離が発生します。円相とはこの有る無いを同体化させる方便ともいえます。

人の姿を円にして、内にある相を同体してみることから始まります。

三種の神器の内、一つに鏡があります。その鏡は自己を映すとも、神様がこちらの心と世を覗く手段とも言われています。相手を鏡とし、恐れず見つめてみるのです。そしたら相手と自分の本質が見えてくるかもしれません。

円は口頭で伝えられない本質を代わりにとらえてくれるものです。

円の中に何を描くのか。円をどのように満ちさせるのか。どれも人により異なります。

円とは宇宙であり、空、海でもあります。そこに人の相をうつすことで本質が理解され、大空、大海をも自由に回れます。一種の自己からの解脱とも言えます。

自己の解脱とは自己から沸き起こるものから解放され、自由になるということです。

しかし、皆が持つ円相に共通してあるのは人の体・相・用この三つにより運用されている点があります。

体とは本体のこと、相とは本質の心、用とは働く作用性質のことです。

即ち自分の身体の中にある本質的な心を、どの方向に作用させるのかが人生を歩む上でも大切ということです。

円相の円は満ちることから、無限の可能性や心の解放を説く姿ともいえます。円満な心性の発眼であります。

円は体となり、相は心、円相ともない用いるもの。

私が見た不思議な夢のお話をいたします。

その日は夢の中で大空、大海を飛び回り、世界と同体化したかのように歩き、遥か昔の自分の知らない人に何かを教え、話している自分がおりました。一つ念仏のようにずっと心で唱えていたのが、「円に相をうつす」という言葉です。空を飛び回っている時も、海を歩くときもずっと「円に相をうつす」と唱えていました。起きてもずっと「円に相をうつす」と唱え、身体が軽かったことを覚えています。

身体の不調もその夢を見てから癒えました。不思議な出来事であります。

「円に相をうつす」ことで病も癒えたのだと思います。

夢は無形世界、有形世界ともに存在しています。生きながらして人は夢を見ているとも表現されます。どんな栄華を極めても死迎える時には「夢の又夢」となります。

人の心というのは上手くいかないものです。ましてや他人となると更にどうにもなりません。

上手くいこうとすると「上手くいくことが是」と縛られます。

上手くいっている!と信じ込むことは可能ですが。

人は水を自由に操れていると思っていながら、一度も操れたことはありません。水はどんな器にも収まり、形を変えて、どんなものでも受け入れます。有ると見ながら、無いものです。

空も同様です。人は空を制したと思いながらも、一度も制したことはありません。見えても、掴めないのです。

有るべきようなものに、どうして無いとみるのか。不思議なものですね。また、逆も然りです。

あること、ないこと弾け感謝して。御礼合掌。

有何無是 円は満ち弾けて相 世は夢幻この身は是空

佐々木宗芯

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