ブログ

五つの感覚 第6階層への道程Ⅱ

Ⅰの続きです。これから自己を覚醒へ至らせ真実の他己自己を知る修業方便の一つ、大切なお話をいたします。

人は五感に基づいて有る、無いと分け、存在非存在を区分認識します。視覚においては眼に写った情報、形や色彩情報を脳に伝え、ある事実を認めます。

聴覚は音情報を耳に通し、その音に内包されている情報を脳内で分析処理して想像上で産物の構築化により「有るであろう」と仮定します。

触覚は手や身体の皮膚細胞に触れた事実を情報として認知して、そこから自分の身体を動かして、形や空間の情報を脳内に伝え計算処理して認識いたします。

味覚や聴覚は大まかに五味(甘い・辛い・酸い・苦い・塩辛い)の味分類により処理しているといわれます。香道では六国五味と称し、香りを細かく分け、分類しています。

五感の上である第六感とはⅠ記載の東大、カリフォルニア工科大の研究からも分かるように頭脳がそれに該当する可能性がございます。また、五感の運用においても頭脳は指令室のように欠かせないことから更に上位機関の地位を与えられているようにも感じられます。

では、ここからは①~⑤に分け、実践領域のお話をします。

① 視覚に頼らず無視覚の世界を認識する

視覚の世界は物体を認識してはじめて有ると見ます。無視覚の世界は自分の理想とする姿や非現実的なその想像世界を意識上では認識する無の領域です。

現実(意識)の自分と理想(無意識)とする自分の乖離が発生し、ネガティブ状態が発生した場合、人は精神が病んだりしてしまいます。二つの〇に例えた場合、現実の〇と理想の◎が相互作用を及ばして、重なった状態を示します。この重なりが離れていくほど自分を失います。

この解決策は単純で難しいことを要求されます。二つの〇を一致させるのは、有形無形(有無の世界)の〇を重ね合わせて、一致しないはずの+-極を零同体にする必要があります。視覚化状態のまま、目の前に無形物を想像します。パソコンの画面に自分だけが認識可能の〇を描くイメージです。目を閉じた状態でも〇をグルグルと描き続けることで視覚無視覚が一種の0状態、いわば同体となり、視覚無視覚同体化の練習となります。

この方法によりある程度の一致が可能であります。〇の一致の要領で意識世界と無意識世界の自分を同体化させるために努力精進に努めます。この法の実践により視覚によって発生する揺れる心の事柄回避が叶います。目の見えない人も逆の方法の転用により叶います。この練習は心の目の発現の一歩であると考えます。

弓と禅の著者オイゲン・ヘルゲルは本の中で弓道は技術さえあれば◎の的に当たると最初考えていました。技術を磨いても当たらないオイゲン・ヘルゲルは禅を良くする師匠にコツを聞きました。

答えられた回答は「心の目で見る」という抽象的な表現でした。しかし、わからない弟子を見た、師匠は真っ暗闇の中の稽古上に連れていき的を見事射貫きました。

この出来ごとが心の目はあると信じさせる要因になったと著者は書いています。

目ほど真実を語るものはありません。

茶道との対自において自分と相手の有りのままの心を真っ直ぐ見つめる。自己を真っ直ぐ見ることは自分の今の有りのままの姿を第三の目から確認できるようになり、全てを受け入れる器を用意してくれます。

② 聴覚では聞こえない音を無聴覚で聞く

人は気付かないだけで絶え間なく無音の感情を世の中や人に発しています。その音や声に気付くためには無意識世界の音を聞けるだけの力量と精神力が必要です。

まずは自分の発さない感情の声を良く聞き、どうしたらその声に惑わされないようにするのか。どうしたらその声の問題が解決するのかを模索します。どうしても人に世に言いたい場合は勇気を出して人に直接的に言うのか、間接的に言うのか選択しないといけませんが。

言わないことが良いことであると自分を縛ってしまうと苦しく、不自由さを強く感じてしまうはずです。

大徳寺の立花大亀老師は思ったことを隠さず最初に素直に言うことで有名でした。しかし、最後には棘が残らない言を選んでいたとされています。人を思い声を発し、そして声なき声を聴けたからこそ精神の一致した言葉を自由に操れたのだと思います。

人の声なき声を聴き、適切にアドバイスや言葉をかけるには、まずは自分の声を聴くことから始めましょう。心の中のもう一人と対話することから心の一致が叶い、真実の自己の発現に至るのだと思います。

まずは自分の声に素直になることから始めてみましょう。

相手の方が「偉い」からという理由で自己と他己を分けて、真実の声に背き続けてしまうといつまで経っても心は離れている状態が継続します。

感情の音は何人にも、ましてや自分には隠せないのです。

茶道の問答の際、その意を受け入れ理解するために頭と心を空っぽにして人の話を素直に聞く。自分を導く言葉や惑わしてくる言葉、自分を高める言霊、喰ってくる言霊などの種類に振り回されることなく常に落ち着いた心持で済むようになります。

③ 物体を触り、心を触る 触れない無の世界を触るということ

人の手には不思議な力があります。あの人に触れると何故か温かい気持ちになる。触れられていないのにその人がいると頭をなでられているように優しい気持ちになる。

人と人は触れることで温もりを感じやすい本能を遺伝子レベルで刻まれています。それは赤ちゃんや幼い子がやたらと母親に抱き着いたり、触ったりすることからわかります。母親が近くにいるだけで赤ちゃんの安心作用が強く働き良く寝るように。

自分の心が傷ついているときは心を触ると少し安心します。また、身体の傷を手で摩ると緩和した気持ちになったりとします。それらは触ることのできないものの無の一つでありますが、確かに触っています。触ることで労りの気持ちが起こり、自分も生きていること、相手も生きていることが無意識レベルで認識しているからこそ、そのような現象が生まれるのだと思います。

犬猫を触るとポジティブ思考になるとの研究もあることから触るということは慈しみの心が生まれ、生きている自分を強く認識させ、自分の近くに触れた対象がいることが安心材料の一つとして機能するのだと考えます。

無意識で感じて触るという行為を考え、心に温もりの意を納得させる作業が一体化の一歩であります。

人に限らず懐かしい思い出の道具や物を触ることも自分の気持ちを明るくさせます。時に道具は泣かせてもきますが。ドラえもんののび太君は色々と嫌なことが続き、人生転んでばかりいました。

その時にそっと机にあった達磨をみたのび太くんはおばあちゃんがこのだるまをくれたときに「達磨さんは何度転んでも何度でも起き上がる。のびちゃんもこんな子になってほしい」と言われたことを思い出し、そっとおばあちゃんに頭を撫でられるているような感覚となり起き上がる決意を固めたシーンがあります。

何かに喰われそうな時はそっと手と手を合わせ、優しく摩ってあげると良いですよ。自分が自分に優しい温もりを与えることがまずは大切です。

お茶の花を入れる際などは、その花に神様や仏様が宿っていると心して大切に扱う。それは自分も相手も労り大切にできる道筋の一つです。見えない心の世界を見えざる手で触るかのように。

これら視覚、聴覚、触覚の三つは特に重要と思われる要素であります。苦しみ悩んでいる相手がいる時、手を握り、優しく真っ直ぐ目を見つめ微笑み、声を聞いてあげるとそこには和と敬と静かさがあります。これくらいしかできないという思いを起こし、寂たる自分を受け入れ。お詫びすることが相手の心に温もりを届けさせるのではないでしょうか

④ 無意識の味覚は忘れた記憶を蘇らせる

あるテレビで寮生活をしている、息子にお弁当を作り持っていく企画がありました。息子さんに遠く離れた母親の手作り弁当である事は伏せ、食べさせました。ハンバーグを食べた息子さんは一口で誰が作ったのか知った顔を一瞬で浮かべ、食べ進めるほど涙が出てきました。彼は五味分類では何を感じていたのでしょう。

人の意識レベルでは認識できない無意識の味覚記憶がそうさせたのだと見ていて思いました。

このことからも人の味覚の記憶が作用し、無意識という世界にも刻まれているのだと考えます。味の記憶を辿ることも自分の無意識の世界を知る手段だと思います。

お茶の世界の懐かしい懐石を食べ、その当時の記憶がふつふつと沸き起こるように。

味覚の体現は思いの形ではありますが、意識の無い記憶の宝庫であります。

お茶の懐石は質素ながら茶人の手により作られます。その思いの詰まったおもてなしの食べ物を食べて、決して豪華な味や食材でないことを学びます。

⑤ 香りを聞き自分を落ち着かせ 静けさを知る

香りはどの記憶よりも強くインプットされやすい性質がございます。個人を評価するときも外見だけではなく香りでも識別すると言われています。

自分の好みを五つの香りで区分けして、その人の印象を操作している可能性がございます。好きな人の香りは無条件で好みとなりやすいとする研究もあるくらいですからね。

日本では香木などの香りは嗅ぐではなく聞くと香道では表現します。長い年月を経て作られた香りを聞き、自己の深いところまで至らせる働きとも言えます。

香の功徳とは一休さんが広めたとする香十徳から伺えます。「感は鬼神に格(いた)り、心身を清浄にし、能(よ)く汚穢(おわい)を除き、能(よ)く睡眠を覚し、静中に友と成り、塵裏(じんり)に閑をぬすむ、多くして厭わず、すくなくして足れりとす、久しくたくわえて朽ちず、常に用いて障り無し」

意味としては「感覚を研ぎ澄まし、心身を清らかにし、よく穢れを取り除き、よく眠りを覚まし、静けさの中に安らぎをもたらし、忙しい時にも心を和ませる、多くても邪魔にならず、少なくても十分に足りる、年月を経ても朽ちず、常に用いても障りはない」となります。

この少ない文字にお香の精神性がまとまっています。この香十徳において特筆すべきは「感覚を研ぎ澄ます」「静けさの中に安らぎをもたらせる」の文であるように感じます。

嗅覚は研ぎ澄まされた答えであります。また、嗅覚は人の懐かしさを刺激して、時には明るい気持ちにさせたり、悲しい気持ちに精神を誘導したりといたします。無意識(静)レベルでの意識(動)への干渉スイッチであります。

茶室のお香を聞き、心を落ち着かせ、清浄無垢な自分を内から生じさせ、お茶を飲む前準備を済ませることが一連のお茶事やお茶会に静けさと清らかさをもって挑めるのだと思います。

ⅠとⅡ編となってしまいましたが、説明した方法は多くの法の一つの問いかけであり、普段意識していない事柄を認識することが自己の真実の姿に気づく第一歩であると思われます。また五感とは何かを知り、出来るだけ意識無意識の世界を認知し、自己の分離から逃げずに作業もこなしていく必要があります。

第六感とは五感の研ぎ澄まされた精神の総体であります。自己の目覚めとも、「心覚」とも呼べそうです。人は目覚めて、初めて世界の全てを知るのではないでしょうか。

茶の湯は人の五感を喜ばせ、良き方に人を向かわせる働きがございます。目に映るは良き心と良き道具。耳に聞くは良き音に良き人の話。触れるは良く温かいお茶とその道具たち。味わうは服良き濃茶に薄茶と美味しい懐石料理。鼻に香しは心を落ち着かせる香木練香。有り難いことです。

良き全てを感じるには表裏無い真心というべき心覚を求めなければいけないのではないでしょうか

この方法は自性と他性、自己他己の認識において大いに生かされるものだと信じております。

まずは只坐り、五感をもって自己を見つめるのみでございます。この方法が貴方の幸ある人生の一助になることを祈り。

閑閑と五つの関を閑々と第六関門開きけり第零関門求め行く

佐々木宗芯

top