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主人公とは

人生は一度だけ。そんな当たり前のことを私たちは分かっていても、満足のできる人生を生き尽くすことは難しいと思ってしまいます。

または次の人生こそ!二度目の人生は!と次もあるかのように願ってしまう。

それは今の生を十分満足できないから次へと期待を寄せてしまうのだと思います。

明日こそ。来年は。と自分の人生が他力本願で好転すると思っているうちは人生を満足に生き尽くことはできません。

今ここで生を生き尽くし、好転させることができるのは自分しかおりません。

何故なら、この世の主人公は貴方なのですから。

どう自分を重んじつつ善きに使って、生かし尽くすのかを日頃から考えに尽くし、その考えたことを即実践しようという心構え、それら考えに即した行動を取れるかが主人公として大切な心がけなのではないでしょうか。

人に社会に使われていると思っているうちは、従属的な側面が強くなり、自分の人生を歩んでいるようには思えなくなります。

また、客観的事実において使われているように思えることも同様です。

では、主人公としての私を見出すために、このように考え方を変えてみたらいかがでしょうか。

主体的に自分が働いて、自分を芯として、自分が自分を使う方に考えを改めてみる。

「私の人生においてそうするべきと思うからする。自分が自分としてしないといけないから、するべきだから」と考えや見方を変えてあらためてみると、それは主人公としてこの世に立っているということであります。

お茶の稽古において先生に注意をされたら、注意された面に意識が行き過ぎで、どうも心が上手くいかない。特にプライドが高い人ほど人前で注意されることを嫌悪とします。

ここでも先にお伝えしたように考え方を変えてみると人格が上手くいきます。

主人公として自分のお茶を見出し、洗練させていきたいから主体的に「こうするんだ、こうすべきだ」と先生の注意を受け入れる。そうすることで、自分の人格や点前がまるく研ぎ澄まされていきます。

人間の一生は一度きり。その一度きりをいかに満足に生き尽くせるのか。

それを見出すことができるのは、主人公としての自分だけです。

自分を磨き続け、不断の努力をし、無限に至り尽くせない、得ない完全なる自分を追求するということに主人公としての格が生まれるのであります。

理想の自分を定めたなら、それに向かって一歩一歩と歩々と進めていく。気づいた時にその理想が叶っている。のです。

お茶のお稽古も主体的に励んでみる。それを心がけることでお茶の上達にもつながります。

私が主人公なら貴方も主人公。植物も動物も、この世の全ては主人公であります。

我こそ主人公!という傲慢で慢心な心持ちではなく、皆が主人公だと丸く心得る。

自分が主人公として立っていられるのは、周りの人や物事のお陰様があるからです。

だからこそ、別の主人公の物語も自分ごとのように重んじて大切に尊重する。時には自ら脇役にも徹する。

それが人と人との関係を築く上では大切な心がけであります。また、それらの行いが立派な主人公に自らを導く方法であったりするのです。

主人公の貴方に。合掌。

お茶は真ん丸 全ては所縁

佐々木宗芯

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