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世界的ということ

日本の茶道をもっと世界に発信しよう!

茶道を現代の最新文化と融合させてハイカラに楽しもう!

これからはロボットや人工知能が強くなる。茶道に取り入れてみよう!

日本は伝統伝統と古臭いから、世界的にしよう!

お茶の先生はプライドがあって困ります。もっと柔軟に世界に目を向けてほしいです。

これらの声は若い者を中心に出てきています。最近では奇抜な着物に洋服で茶道、ハイカラな取り組みなど多く見受けられます。

私はそれらの動きをそれはそれとして拝見しているのでどれも楽しそうで良きにございます。お茶をハイカラにしてみるのも、世界を語るのも、世界に合わせて日本の文化を世界的に変化させ富ますとすることの動きには先の楽しみを覚えます。

しかし、私は無理して茶道をハイカラ文化に染めることも世界的にする必要などもないと思っています。

何故ならお茶の本来の心の本となるものは「侘びる」に尽きるからであります。

「自分にはお詫びするほどのものしか貴方様に出来ないが、お茶でも一服いかがですか。」とする考えではないかと思っております。

そのため豪華さを極めて空間や豪華な料理に、ハイカラで染めた物で道具を組んでは豪華絢爛に心を支配され目が向き、本来の主役であるはずの「お茶」は無きもの、いわば副産物に成り下がってしまいます。お茶の構成するものすべては本質的には皆々は主役で有るが故、どれも殺し合わないように互いに調和と保っています。そこに邪に人の心が加わると厳しく申しますが、皆「死にます」貴方も死にます。

お茶は未来にも過去にも生きるものではありません。未来に生きると先の期待ばかりと楽しさに心が奪われます。過去に生きすぎると縛られ、苦しい日々に悩まされます。大切なのは今の自分であります。

そしてお茶は人のために成すものでもありません。反対に申せば人が何をしようとそれにどうのこうのも言いません。このように申すと誤解を招きそうではありますが、世界も日本も人もどうなろうと関係ないのです。「どうなろうと」は未来の姿を申します。いかに社会が日本が、世界が変わろうが自分のお茶は変わりません。そこにあるのは不変のお茶であります。無賓主のお茶とも言えそうです。

有りながらも無い、差別歴然とありながら同々にする。時間には無時間、主には客、表には裏と常に全ては離れずにいます。文で見えている時点で有るが無い。有るとするは人の目、無いとするは頭の概念的想像主体だからです。

相手をどうのこうのと言い、見てしまったら自分に縛られ、頭と心を支配されます。ようは食われたのです。また、自分が己!己!となっている心持だと相手が自分に対し、自分の心中において「悪い・違う」とする言葉を言われた時や自己の否定をされた時に傷つき、病んでしまいます。これもまた食われたのです。自分も相手もどうにもなりませんな。

私の曾祖母はこのように申しておりました。「相手に腐されたら、褒められたと思う。褒められたら腐されたと思えばなんてこともありません。」

真ん丸であります。

何故世界的にする必要があるのか。何故ハイカラが良いのか。考えてみるのも楽しそうでありますね。

では、諸外国の人は何を日本に求めているのか。それは日本人の行う世界的に合わせる動きよりも、逆に日本的なものであります。日本の美しさにその精神を知りたいのです。

諸外国の方々には狭苦しい茶室で飲むほろ苦いお茶にそのお菓子はどれも楽しき日本のものに映るはずであります。お茶はただ飲むコミュニケーションツールの喫茶文化と思っていたのに茶道の秘める日本的美しさやその精神の働きに満足するのだと思います。日本的な美的原理原則の表現には多くの外国の方々からすると不思議で楽しいものに映るのです。日本人が外国に赴き、その異なる文化性を楽しむ姿と同じであります。

禅が世界的に受けているとする記事が散見されますが、それはただ座るという日本的な不可思議さに魅了され、何故かわからんが精神が安定するからであります。禅は宗教の一つのはずなのに崇める対象も祈る対象もいない唯一の自分との対話に惹かれるのだと思います。

茶道でいえば「お茶との対話」となります。

政府の偉い偉いある官僚と話した時、「お茶の先生は流派や自分のプライドが山のように高すぎて困ります。もっと柔軟に思考をしていただき、世界に目を向けていただきたい。先生どうにかなりませんか。」と外交を司る官庁内で申されたことがあります。

私はこう返しました。「「皆々」プライドが山や海のようで困りますね。ここは一つ宇宙に参りましょうか。」

動かざる者山の如し 流れいく者は海の如く 果ては小さき果ては大きく

山を切り崩し、海を切り分け困ったものです。

過去を大切に頑なに信仰して教え伝えることも良き事に悪き事、未来を渇望し、壊し、良きに悪きにと作り変えるのも良き事に悪き事、人に悪き良きことなどありません。所詮人なのだから。されど人なのだから。素晴らしいことです。有難いことです。

生れ一人 今も一人 死しても一人 皆々同じ 幾人かな

佐々木宗芯

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