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おもてなし「利休七則から見る心」

もてなしとよく見るけど結局のところ何?

お茶は「おもてなしの心」と言っているけれど、お茶のおもてなしって?

もてなしとは辞典では

一 客に対する扱い。待遇。

二 客に出す御馳走。接待。

三 人や物事に対する振る舞い方。態度。

四 物事に対する扱い。

とあります。漢字で書いて「持て成す」です。

「持て成す」は自分の持てるもので成すという意味になるのかと思います。そしてこの漢字には悪い意味でもとれる、取り繕うとする別の顔も持ち合わせているようです。

もてなしに「お」をつける意味は深いものであります。

人の持つ他に対するもてなす心の働きを「おもてなし」それは裏心のない「うらもなし」とが一対になり、重なっている時に真心から生まれるものであります。

お茶の世界は表裏の世界でもあります。良い意味でも悪い意味でも「表裏」が上手く調和し、存在しております。

本質的に表と裏をとらえた場合、「表裏関係」は人の持つ感情を超えた先にあるものであり、ともに同一である姿が本来のものであります。

表があるということは裏もある。有る事実は無い事実の証明になるとする言葉もあるようにでございます。逆に言葉を置き換えても同じとなります。無い事実は有る事実の証明をしている。

そのため人は自己の心中においての「表裏有無」の関係を同一化するのが「おもてなし」の基本要件になるのではないでしょうか。言葉や行動はもてなし心があっても裏の心あればそれは真心からの「おもてなし」を成したとはなりません。そして過ぎ去った事実にわざわざスパイスを利かせる必要もないでしょう。

利休七則

(茶は服のよきように、炭は湯の沸くように、夏は涼しく冬は暖かに、花は野にあるように、刻限は早めに、降らずとも雨の用意、相客に心せよ)

この言葉はある高弟が「茶の湯とはなんでしょうか」と師である利休に尋ねました。そこで利休はこの言葉を言ったとされています。それを聞いた弟子は「それくらい当たり前ではありませんか。私でも知っています」と答えました。そこで利休は「その当たり前を出来たら、私はあなたの弟子になりましょう」と答えました。

一則 茶は服のよきように点てる「真心から点てる、美味しいお茶」

相手の良きよう(好みのお茶の分量や温度)をしっかり考えて、お茶を点てます。自分中心でお茶を点てずに心を相手に寄せ、点てることから美味しいお茶は始まります。お客さんの喜びよう、笑顔みて、亭主もまた笑顔になります。そのためにまずは相手に心を寄せることから始めてみましょう。

一椀を点てるという行為、飲む行為には心を点てる・飲むとする意味があります。精一杯、無我無心に点てる茶、一生懸命に点ててくれたお茶を有難くお頂戴する気持ち。ともに織りなされ一期の一会、一座の建立が現出します。

二則 炭は湯の沸くように置く「炭の火継から始まり起こる松風、良き湯相」

利休の孫であり、炭点前の名人として名高い千宗旦は炭のつぎ方がとても上手であったとされています。ある宗旦が亭主の茶事のこと、ある名人芸を期待した客は炭の名人として名高い千宗旦の炭点前を見ていました。しかし、宗旦のする炭点前のどこもかしこも普通でありました。そして時は進み滞りなく茶事は終わります。そして帰り相客に「普通でありましたね」と告げたところ相客は「滞りなく。あれこそ炭の名人」と言ったとされるエピソードがあります。

炭の起こりようで一連の茶事の流れは変わります。炭の具合悪ければお茶も湯相もダメになってしまいます。そのために最初種火、炭のつぎ方に上手な妙法はあるのです。

炭のつぎ方を形式だけとして成すのではなく、その時、その時の火や炭と会話をして、本質を見極めつつ、臨機応変に事を成すことは重要であるということであります。それらの心の働きが松風を起こし、良き湯相として形を見せてくれます。

三則 夏は涼しく冬は暖かに「心を温かに季節を廻らす」

言葉の通りでありますから、さほどお話しなくても良かろうとは思いますが、夏はいかにも涼しく、冬はいかに暖かくするか。

夏はお客さんが来る前にちょうどよく、されどたっぷりと打ち水をしておく。涼しさを感じるお菓子、お道具などを用意するなどであります。冬は寒いところから来られるお客さんを思い、手あぶりや香炉などを用意する。湯が入った小さな桶とタオルを待合に。蒸したての手作りお菓子を用意するなどです。いかようにして「夏涼しく、冬暖かく」するのかは臨機応変な茶人の心の働きにかかっています。

クーラーや暖房をガンガンにしたお茶室を用意しとくということではありません。いかに涼しさをいかに暖かくを茶道で演出するかどうかにかかっています。そのためにはやはり茶人の力量が必要です。

心頭滅却すれば火もまた涼し。とあるように如何にして熱や涼を同一にするのか。それは心を一つにするということです。

そして自然に溶け込ませて、亭主、客ともに心温かにでございます。

四則 花は野にあるように「満ち足りる心から見える一輪の花の美しさ・命の尊さ」

野にある花のようにするには、不自然に演出しようとする人の邪な心を戒め、野に存在する自然の美しさ、花の尊さを知ることから始まります。

一輪の尊き花にお詫びして、感謝をして、花を入れるということであります。一輪の花に野に咲く花の美しさ、自然から与えられた命の尊さを盛り込むとする真の意味があります。

私の祖母である佐々木宗弘師匠は「お花には心で礼をする。人のために命続く限り綺麗に咲いて飾らせていただくのだから。人の手で生きているお花さんを摘むのだからお詫びしつつ、とても感謝すること。一輪の花を美しいと見て取れる満ち足りる心をお茶から知ること。美しさ知らずして花を野に帰してあげることは叶いません」とよく話しています。

花を野にあるようにするのも、野に帰してあげることも茶人の心得から。そのためには花を入れる茶人に知足の心が真にあることから始まるのではないでしょうか。

五則 刻限は早めに「心を亡くさず 心を長閑に」

時間にゆとりを持って早めに事に当たるとする意味でもあります。時間は互いに尊重し合う関係性の構築には必要です。

亭主が忙しない心の持ちようであれば、お客にもその忙しなさが伝わり、急がせてしまいます。相手の時間を尊重して、自分の気持ちは長閑に構えて、相手にも長閑でゆとりある時間を持ってもらうということになります。

それらのゆとりが亭主とお客との心の開きを助けるものとして機能するはずです。

六則 降らずとも雨の用意「どんな時でも対応できる心構え」

千宗旦はあるときに貴人が来られ、草庵へと通して常の通りにお茶を成しました。そこで疑問に思った貴人は「貴人には貴人に対するお茶の法あったはずではないか」と宗旦に問いました。そこで宗旦は「こんな侘しい私のもとまでお運びくださいました。貴人様は私のお茶にご興味を持たれたと思い、勝手ながらこのようにいたしました。しかし、ご不満であれば広間にて別のご用意がございます」と伝え、貴人は大層喜ばれたとする話があります。

どんな時、万人に対しても対応できるだけの臨機応変な働きや心構えがお茶には必要ということです。

「どんなときにも落ちついて行動できる心の準備と実際の用意をいつもすること」が茶人の心がけであることを言おうとしています。

どんなときにも臨機応変に事を成して、適切に場に応じられる自由で素直な心を持つことが大切です。

七則 相客に心せよ「連客に心配りをする」

相客とは一緒にお茶席に座っている人たちのことです。

お正客も末客でも互いに尊重して行動言葉を使うということであります。

みんなが互いに気を配り、皆で心地よい空間を作ること。そして尊重し合う関係から、楽しいお茶のひと時を過ごせるのです。

賓主互換

お客さんも亭主の気持ちになりその側の意を汲もうとする互換性が必要です。亭主は招いたお客さんを思い、色々な準備をしてくれています。そのためお客さんは随所に散りばめられた亭主の思いを汲み取り、亭主に感謝の気持ち、素直な心を伝え、互いに和顔愛語ある関係を築くことも大切です。

お茶の世界は平等ともいわれます。平等とは亭主、客などという概念さえも無いという事でもあります。あるのは互いに思いやる心。

そのように考えれば茶の湯の「おもてなし」とは一方通行のものではなく、互いに「もてなす」思いやりの心を育み合う一つの方便なのかもしれません。

世のすべてのおもてなしに感謝して。御礼合掌。

表なし 裏もなくして 愛語の応酬 和のある顔がずらりと並ぶ

佐々木宗芯

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