まず最初に貴方は今を生きていますか?それとも過去に縛られていますか。
幸ある未来を夢見て目標を一つ一つ成就させていますか。
これらの問いに意味などありません。なぜなら既にこの時間こそ「今」であり「現実」なのだから。
先の一秒に打った「た」は過去、パソコンを打つ手の「と」という文字が未来を示しています。
今とは何か。それは過去であり未来であるのではないでしょうか。
今を一生懸命に努力し、励むから自分が描く幸ある夢有る未来が訪れるというありふれた事実、自分の過去を鑑みて経験知にするから今の糧となり歩むエネルギーになるという現実それらすべてを包括して今があるという真実。
簡単に説明しますと過去を(B)現在を(A)未来を(C)とするとA=BC→〇(円)となる。円とは過去現在未来すべてをまとめた形とも捉えられます。
丸の終着点は自分が描いた丸の起点になります。〇を描いたらわかると思います。
その終着点こそ世界中に存在する死後の世界観とも見えます。人は死んだら何処に行くのかという問題は人類が誕生してからの大きな命題ではありますが。一つの解としては「元に戻る」ということなのでしょう。茶の湯の世界において小さな小間という茶室があります。四畳半以下のことを小間と呼ばれます。この小間には躙り口という不思議で小さな入り口があります。例えるなら人間には入れない小人のお家の入り口のようなものです。
この躙り口について茶の湯文化研究の著名な熊倉功夫先生は「産道回帰説」を唱えました。赤ちゃんが母親のお腹にもどるようなことを表していると説明がされます。
お茶の世界ではお家元も宗匠だろうと、歴の長い先生から入門間もない若い人だろうと皆平等になれる空間があります。それが茶室という存在です。世の中特別な人などおりません。人が自分と分けて人を特別視するからその人はあたかも尊い特別な存在のように映るだけなのです。生まれたときにその特別な人は何者ですか。今は何者に見えますか。未来はより遠く信仰を捧げる対象になるのでしょう。何故なら時という空間がその特別な人と自分を閉じ込めているからです。小さな世界で。
人に信仰を捧げて、特別視するのはやめましょう。貴方こそこの世の主人公なのだから。
生まれ死すまで今しかありません。今は過去であり未来であります。あなたは貴人で主人公です。何故ならそれを認めてくれる場所があるから。私たち北茶は主人公の貴方を求めています。
佐々木宗芯